Nov 13, 2009

私たちの会社のIDカードは非常に便利

私の勤める会社は、地方公共団体の出資する、いわゆる第三セクターと呼ばれる団体です。地方公務員とほぼ同等の給与が保証されているだけでなく、官公庁などの建物に入っているので、その身分証明書のあるIDカードは同じものが支給されています。このIDカードは非常に優れている庁舎の生協売店や社員食堂などでもキャッシュレスで利用することができます。
某有名ショッピングセンターをうろうろしていたが、クレジットカードの勧誘の人に"クレジットカードを作りませんか"と言っていました。 "いやです。"逃げにかけてですが、相手はそのクレジットカードがいくら便利に力説して逃げ​​るのもおっくうになりますカードを作ってしまいました。しかし、やはり便利どころか、使用する場面ではなく、やっぱり作るのがなかったと後悔しきりです。
【素顔の「江」6】

 徳川2代将軍、秀忠の正室、江(ごう)の生涯を描くNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」。本日13日は、第6回「光秀の天下」が放送。明智光秀(市村正親)が主君、織田信長(豊川悦司)に反旗を翻した「本能寺の変」の後、江(上野樹里)は徳川家康(北大路欣也)とともに、命がけの伊賀越えを果たす。しかし、母、市(鈴木保奈美)がいるはずだった上野城は、戦局の混乱ですでに人は去った後。野武士に捕らえられる江だが、そこで自ら“志願”し向かった先は−。

【写真をみる】鈴木保奈美が演じる市は江の消息がわからず動揺する(2月13日放送)

 今回は、光秀関連シーンの撮影裏話をお届けする。

 ■運命が変わっていく様子を実感

 光秀を演じる市村は、昭和55年に「獅子の時代」に出演して以来、21年ぶりの大河ドラマ登板となった。

 「撮影は楽しかったですよ。目の前に、信長がいて、家康がいて、秀吉がいて。その場に自分がいるなんて」

 市村は埼玉県川越市出身で、9日に川越市民会館で行われたトークショー(川越市主催、NHKさいたま放送局共催)に参加。「江」のエピソードを語る中で、このように撮影の感想を話した。

 ひとりっこで育った市村にとって、テレビは友達だったという。「テレビの向こうには何か面白い世界がある」と想像していた少年が、「その世界が現実になった。歴史の中に舞い込んでいく感じだった」と大河の現場を振り返った。

 「いろいろなものが重なって、信長から秀吉の時代に変わっていく。その流れの一つのきっかけを作ったのは光秀であるというのは、まぎれもない事実ですからね。撮影で、(人の)運命が変わっていく様子を実感できた。信長もまさか光秀が謀反など起こすとは思ってなかったでしょう」

 ■ハンカチのご用意を

 織田の重臣、光秀がなぜ謀反を起こしたのか。その質問をヒロインが直接、光秀に投げかける構図をつくった今回の脚本。市村いわく「江とのからみは、切ない」。静かながらも緊迫した場面になり、撮影モニターを確認した上野は「泣ける」とポツリ。光秀の中に信長がどのような存在としてあるのか吐露するセリフもあり、市村は「ハンカチを持ちながら見ていただけたら」とアピールした。

 光秀のキャスティングについて、チーフプロデューサーの屋敷陽太郎氏は、自身が学生時代に見た平成元年の「紅白歌合戦」が、市村起用のきっかけになったと明かす。

 当時、劇団四季の看板俳優だった市村は「第40回紅白歌合戦」に歌手として出場。その時に歌ったのが、市村が主演しヒットしていたミュージカル「オペラ座の怪人」の歌だった。

 「本当に鮮烈だったんです。あの時にはじめて『オペラ座の怪人』というものを知って、その後、ロンドン、ニューヨークと見に行きましたけど、その中でも怪人はやはり市村さん」と屋敷氏。そして、光秀との“接点”をこう話す。

 「光秀というのは、ある種、舞台の下から舞台の上にいる信長にものすごく恋いこがれていた人だと思う。(オペラ座の地下に住む)怪人が、舞台の上のコーラスガールにあこがれる様子は、光秀が信長にあこがれをもって慕うイメージと、勝手にですが、すごく重なるんです」

 実は「獅子の時代」以降、大河ドラマのキャスティングでスタッフが市村に出演を申し入れたことは何度もあった。しかし、市村は舞台俳優ということもあり、スケジュールが合わず断念したという。

 「出演交渉は、同じ部署の中でも秘密にして、記者発表の日にフタをあけるんですが、『よく(市村さんの)スケジュールがあいてたな』と諸先輩方から反響が大きかった」(屋敷氏)

 市村は、撮影がちょうど帝国劇場のミュージカル「モーツァルト!」のけいこなどと重なっていたが、再演を重ねた作品で体に役がすでに入っていたため、通常より余裕があったのが幸いした。「新作ミュージカルだったら、(大河出演は)できなかった」と市村は話す。 

 ■光秀の「いじめられ方」に太鼓判

 撮影はロケも多く、各所を回った。「本能寺の変」での名ゼリフ、「敵は本能寺にあり!」を撮影したのは、滋賀県の山奥。シーンの情景に合う場所を求め、栃木や長野へも行った。光秀・秀吉両軍が激突する「山崎の戦い」の後の光秀が敗走する場面は、林の中に道を切り開いて撮影。豪雨に見舞われ、“雨待ち”で夜中に撮影が行われたことも。

 屋敷氏は光秀について、こうも言う。「光秀は、まさに中間管理職。営業成績をすごく厳しく言ってる上司(信長)がいて、さらに、領地をなくしてどうするんだと突き上げる部下もいる。日本中の中間管理職は、皆、光秀に感情移入できると思う」

 また、演じる市村のこんなところにも注目していた。

 「信長にボロクソに言われていますが、そのいじめられ方がうまい。投げられ方や引っ張られ方は本当になさけない格好になる。普通(の俳優)は、ああはならない」

 市村は「同情を買うのが好きなんです」と笑うが、中学生時代に入った柔道部で、“いかにきれいに投げ飛ばされるか”というコツを得て、それが役に立ったとも。

 だが、投げ飛ばした信長役、豊川にしてみれば、市村は俳優の先輩。「市村さんは『いいよ、おやかたさま、何やってもいいよ』っておっしゃるんですけど、やっぱり嫌なんですよ(笑)。結構、光秀に対してパーンとかポーンとかやるので、『市村さん、ほんとうにすみません』と思いながらやっていました」と恐縮の至りだったそうだ。

 第6回で光秀出演の回は終わるが、「光秀は亡くなったけど、実は生きていたという話もあるんですよね」と市村。「家康がかくまって、天海(家康の側近として政策に関与した僧)になったんじゃないかという俗説を唱えていらっしゃる方もいるので、後半に…(笑)」と屋敷氏が振ると、「天海で出ようかと(笑)」(市村)。こんな冗談も言えるくらい、市村にとっては充実した“光秀ライフ”だったようだ。


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Posted at 10:28 in Economy | WriteBacks (0) | Edit
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