Nov 09, 2010
ウォーターサーバーの比較と価格
ウォーターサーバーを持ってスタートしてすぐに切り替えると、良かったと思っています。今までペットボトルゴミだらけになっていました。そして、買い物も、重いものを運ぶいたが、ウォーターサーバーの家まで持ってくれるので、本当に楽ですさらに、水に出てくるので、いちいち煮沸していた時代に戻ることはできません。感謝いくら自分がきちんと家をしていても急にリークの問題になることがあります。アマチュアは、修理できないことがほとんどなので、水漏れの修理業者の電話番号を書き留めておくことをお勧めします。急にと揺れ考えて水はますますだけではなく、流れてくる状態なので、普段から注意することで、慌てずに対処できると考えています
◇重要地ゆえ天領に 片や豊臣ゆかりの殿君臨
なるほドリ 日出のニュースでは「城下町整備」の話がよく出るのに、別府からは「城下町」の話は全く出ないね。
記者 別府大の後藤重巳名誉教授によると、町の成り立ちが違うからです。日出藩の初代藩主、木下延俊(のぶとし)は豊臣秀吉の正妻ねねのおいに当たり、後に小倉藩の初代藩主となる細川忠興(ただおき)の妹をめとった人物です。1600年の関ケ原の戦いで徳川家康方についた延俊は翌年、日出3万石を与えられ、日出城建設には忠興が協力しました。木下家は明治維新後まで続きました。
Q 別府は?
A 相当に複雑なようです。関ケ原の戦い直後、現在の別府市の大部分は細川氏の小倉藩領でした。しかし、細川家は忠興の子忠利時代の32年、熊本藩に移ります。その間、徳川家ゆかりの大名や旗本、譜代大名に与えられ、多くが後に幕府直轄の天領になっています。34年には譜代大名の松平忠昭が亀川に入り、現在の別府市北部を治めますが、松平もわずか1年で大分に移りました。
Q じゃあ、お殿様は?
A 他藩のようなお殿様はいません。ただ、鶴見や北中のように江戸時代を通して森藩の久留嶋氏が領有した場所もあります。
Q 別府は小藩分立の本県を象徴してるみたい。でも、なんでそんなにバラバラに?
A 当時の東九州は江戸や京都から見れば「表九州」。重要拠点が多いからこそ幕府は分割統治しようとしたのでは、と後藤名誉教授は分析しています。<回答・祝部幹雄>
6月30日朝刊
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北九州市で29日あった第36回全日本クラブ野球選手権九州地区予選兼第6回九州クラブ野球選手権(日本野球連盟九州地区連盟、毎日新聞社主催)の決勝で、県勢の新日鉄大分ベースボールクラブは、てるクリニック(沖縄)を13−6(八回コールド)で破り、2年連続4回目の優勝を果たした。9月に西武ドームなどである本大会に出場する。
同日の準決勝で、同じ県勢の九州総合スポーツカレッジを3−2で降した新日鉄大分。決勝は初回に先制を許したが、八回に打者一巡で一挙6点を挙げ、コールド勝ちした。
野田隆信投手が最高殊勲選手賞、藤内滝太主将が首位打者賞(打率4割3分8厘)に輝いた。藤内主将は「支援してくれる会社に少し恩返しができた。本大会も気を引き締めて臨む」と話した。【高橋克哉】
▽準決勝
新日鉄大分ベースボールクラブ
002000010=3
002000000=2
九州総合スポーツカレッジ
▽決勝
てるクリニック(沖縄)
20000103=6
00201136=13
新日鉄大分ベースボールクラブ
(八回コールド)
6月30日朝刊
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◇石垣原合戦の戦跡 「九州の関ケ原」とも
別府市中心部の扇状地を見下ろす観海寺地区は「別府八湯」の一つ。巨大な杉乃井ホテルなどが断崖に建ち、家族連れでにぎわう。
今年5月、よろいかぶと姿の男性数人と約10人の市民が歩く風変わりな光景があった。「関ケ原の戦い(1600年)」2日前の石垣原合戦の戦跡を訪ねるウオーキングだ。
徳川方の東軍と反徳川方の西軍が今の市中部で衝突し、「九州の関ケ原」の名も。断崖上には西軍の大友義統(よしむね)が陣を置いた。義統は宗麟の長男ながら、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の不手際で豊後国を奪われ、「お家再興」を掲げ、東軍の杵築の細川忠興や中津の黒田如水の傘下武将と戦った。
合戦の教えを請おうと別府史談会副会長の三重野勝人さん(78)を訪ねた。三重野さんは開口一番「どこで激突したのかも、はっきりとしない」。一帯は今はなだらかな斜面に見えるが、「当時はいたるところに川に削られた深い谷があり、目印となる境川の流路も分からないから」。
とはいえ細川家の武将、松井康之の「松井文書」が90年代に見つかり、「ここが墓場」と武将が飛び出す様子も、今は読み取れる。
大友氏が完全に豊後国から離れる舞台となった石垣原合戦。点在するゆかりの地は、案内板などでたどれる。
◇ミョウバン作り再現−−「湯の花」研究、元別府大短大部教授・恒松さん
別府市明礬地区は、わらぶき屋根の小屋で作る入浴剤「湯の花」でも知られる。明治中期まで作られたミョウバンの歴史を教えてもらおうと、同市湯山の元別府大短大部教授の恒松栖(すみか)さん(73)を訪ねた。07年に「湯の花の研究」を出版。古書を掘り起こし、ミョウバン作りを再現した。
小石を敷き詰めた石畳に温泉噴気を引き込み、青粘土をその上に敷き詰める。1日3〜4回、水をまいて表面にできた繊維状の結晶が湯の花。常緑樹の一種を乾燥・焼成した灰を水溶・ろ過した汁と湯の花を混ぜて化学反応を起こさせ、精製したのがミョウバンだ。古くから止血剤や皮なめしに欠かせない。
ミョウバン作りの始祖は熊本県八代出身の渡辺五郎右衛門。17世紀中期、この地で製造に成功したが、中国の輸入品との競争に勝てず経営断念。18世紀、小浦村(現日出町)の庄屋、脇儀助がようやく経営を安定させた。
明礬は、明治中期以降、輸入品増加でミョウバンをあきらめ、中間生成物を入浴剤として売る。恒松さんの曽祖父も明治初頭のミョウバン生産者だった。
恒松さんは「別府の大事な観光・文化的資源。せっけん、化粧水など関連商品を作り、科学的効果も明らかにすべきだ」と熱く語る。滋賀のインテリア通販〜のウソホント?!
6月30日朝刊
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