Oct 29, 2009
ナノテクノロジーを利用したアンチエイジング製品
アンチエイジング市場は拡大を見せているため、企業でも新規参入を開始するところがあります。これまでの事業で培ったナノ技術で肌の浸透成分の開発が進められています。今までのアンチエイジング化粧品は、コラーゲンも水溶性と透湿性はあったのですが、それ以外のピココラーゲンを配合しているため、お肌に新鮮な弾力感を出せるようになっています。フォトフェイシャルについて、これは光を利用した美容治療です。フォトフェイシャルは、IPLと呼ばれる特殊な照明を使用して、美肌のための美容治療を行います。シミやそばかす、しわ、たるみ、ニキビ跡などの肌トラブルを改善し、より良い肌の改善効果があります。年齢によって、毛穴が気になる人にも、これは便利です。
宮城県塩釜市の魚市場で14日、東日本大震災以降初めてマグロが水揚げされた。この日水揚げされ、競りに掛けられたのは、太平洋のマリアナ諸島沖で捕れたマグロ約17トン。国内有数のマグロの水揚げ漁港として知られるだけに、集まった卸業者からは「やっぱりこの雰囲気がいい」と笑みがこぼれた。
競りは多くの卸業者でにぎわい、65.8キロのメバチマグロが1キロ5800円の高値で競り落とされた。市場関係者は「普段の相場の倍」と「ご祝儀相場」に驚いた様子。水揚げの調整に当たった「ワタベ魚類」の佐藤明彦さん(54)は「石巻、気仙沼の漁港もこれで元気づけば」と述べた。
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東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県田野畑村で、被災した漁師らががれき撤去作業員として働き始めた。駅の管理を地域自治会が担うなど自立の気風が強い村。「体を動かして稼ぐことが自分たちの仕事。気分も晴れる。少しずつ自分たちの手でふるさとを取り戻す」と汗を流す。
12日、海沿いの羅賀(らが)地区では漁師6人が民家わきで建設業者の撤去作業に加わった。重機が入れない狭い場所で、流れ着いた木材や家財などを手作業で集める。中村光明さん(63)は「仲間と体を動かすのは本当に気持ちがいい。(震災後は)テレビを見るしか(することが)なかったから」と笑顔を見せた。
4月は養殖ワカメの収穫最盛期。サッパ船(小型漁船)を操り、リアス式海岸を巡る仕事もようやく軌道に乗り始めたころだった。家と船2隻を流された。家族は無事だったが、6人の暮らしを支えなくてはならない。「50年近く海の上で稼いできた。漁師以外は無理。船に乗れるまで復興の仕事が続けられれば」。シャベルを持つ手に力がこもる。
村はがれき撤去作業を委託した建設業者に被災者を雇用するよう希望者の名簿を作って仲介した。船を失った漁師ら50人が応募した。日給7500円。午前8時から午後4時半の勤務は避難所の食事時間に合わせた。同様の雇用拡大策は新潟県中越地震でも行われた。
田野畑村では10年前から行政の仕事を地域の自治会などが請け負う「協働事業」を実施。壊れた集会施設の修理や税金の徴収などを行ってきた。「自分たちでできることは自分たちで」が村の合言葉という。【林哲平】
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放射性物質の放出が続く福島第1原発の事故で、福島県警は14日、同原発から半径10キロ圏内で、機動隊員ら300人を動員して行方不明者の捜索を始めた。10キロ圏内での大規模捜索は事故後初。
第1原発から約7キロ離れた同県浪江町の請戸漁港付近では、午前10時から県警機動隊員や消防署の隊員らが捜索した。同日は夕方まで実施する。
県警によると、捜索班約260人のほか、放射線量を計測するモニタリング班や遺体を収容する搬送班などが加わった。発見した遺体から高い放射線量が出た場合でも、水で洗い流すなどして収容する。
請戸漁港の周辺はほぼ壊滅状態で、県警は相当数の遺体が残っている可能性があるとしている。建物などのがれきの山も放置された状況で、県警は近く重機も投入する。
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東日本大震災では福島県も津波で大きな被害を受けた。しかし、その復興には福島第1原発の事故が暗い影を落とす。避難指示区域(原発を中心とした半径20キロ)以外でも、住民の多くは遠隔地に避難したままだ。「宮城や岩手と違って、私たちは散り散りになってしまった」と、住民はため息をつく。
福島第1原発から35キロのいわき市久之浜地区。屋内退避圏(原発から20〜30キロ)のすぐ南にあたる。ここでは津波で42人が犠牲になった。高さ6.2メートルの堤防を越えて津波が押し寄せ、約510棟が全半壊した。地区の中心部では火災も発生し、2日間燃え続けた。
久之浜では津波から1カ月たった12日朝、ようやくがれきの撤去が始まった。市に委託された業者が重機でがれきをダンプカーに積み込む。だが、住民の姿はほとんどない。少し離れた所では、まだ自衛隊による行方不明者の捜索が続く。
市内に勤める派遣社員の根本仁美さん(44)は、がれき撤去の作業を見守った数少ない住民の一人だ。両親と3人で暮らしていた自宅は津波で半壊した。
3月11日の大地震発生時は職場から帰宅する途中だった。久之浜に戻ると、母親は高台の中学校に避難していた。津波になぎ倒され、なおも炎上する家々を眺めながら、地区の住民たちと肩を寄せ合い、励まし合った。父親も外出先から親類の家に避難して無事だった。しかし、翌12日の原発の水素爆発で状況は一変する。
市は原発に近い同地区に自主避難を呼びかけた。以降、根本さんは両親と共に市南部の避難所、栃木、茨城の親類宅などを転々とした。他の住民も同様で、市外や県外に移ったままの知人も多い。
あれから1カ月。根本さんの目には、報道される宮城や岩手の津波被災地は、地域住民が一丸となって復興に歩み出しているように映る。しかし、眼前に広がる久之浜の光景は1カ月前と全く変わっていない。
「故郷に戻りたくても、原発事故のせいでためらっている人がたくさんいる。復興の担い手となる住民が戻らなければ、再び活気ある町は取り戻せない」。閉ざされたままの未来の不安は募る。
それでも、一日も早く久之浜に戻りたいと思う。幸い、自宅は修理すれば住むことができる。その準備のため、根本さんは今月8日にいわき市に戻り、両親とアパート暮らしを始めた。【袴田貴行】
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